仕組みを自分たちで考え変えてゆくということ

今年のDevsumiでゆめみの社長さんのセッションを聴いたんです。
ティール組織の話が主だったかと思うんですが(私は積読してる)、その中で「組織運営を自分たちで決めていく」みたいな話があって、その時も一応納得感はあったのですが、今になってその難しさに苦しんでいる、という話を書こうと思います。

あんまり具体的なこと書くと後で怒られそうなので、ふんわりすると思います。

コトの始まり

アジャイルを推進していこうとしたときに、最初は組織構造とか枠組みができてないから、どうにか考え方を理解してもらって、小さい規模で(個人とか数人のチームくらい)実践してみて、みたいな進め方って多いんじゃないかなと思います。

私もそんな感じで初めて、いくつかの組織にそんな土壌を作ることができて、これまで草の根的だったものが少し組織構造の影響を受け始めたわけです。

チームくらいの規模だと、最初は元の裁量の範囲を出ないのであまりその後のことって意識できなくて、あるところで壁にぶち当たりました。

ヒエラルキーな思考

強いヒエラルキーがある組織だと、「いかなるルールも不変のものであり、あらゆる意思決定は上がする」という、固定観念のようなものがあります。(言い過ぎではないと思う)

そういう組織に慣れてくると、決められたルールの中では考えるんですけど、その枠組みの外側は最初から選択肢に入らないんです。
選択肢に入らないというのは、認識していない、とは違います。
この世にはそういった選択肢が存在することは知っているけれど、自分たちの選択には入れない、という感じです。
諦めとか失望の類でもなくて、もっと自然に「これは違うから置いといて~」という、特に抵抗なく外す、というイメージです。
無意識のうちに、自分の枠を超える部分については「揺るがない制約事項」としてフレームが出来上がっていて、その枠の中で最善を尽くそうという風に見えます。

そんなことは薄々感じてはいて、でも自分がそう思ってるからってギャーギャー押し付けるのも違うし、チームが良い活動になっていればいいか、と思ってました。というか今も基本的にはそう思うようにしてます。

何か起きた

ところが、喜ばしいことに草の根だったものが組織レベルで取り組んでいこうというふうになってきたところで、気になることが出てきました。

チームはこれまでの期間でやり方を見つけ始めていて、そこに組織的なバックアップがついて、一見良さげに一体化してるように見えたんです。
「チームのルール」と「組織のルール」が融合していくイメージというか、今までの「私たちの活動範囲」であったものが広がりました。

あとはこれまでみたいに、少し範囲は広がったけど組織のルールなんかにもフォーカスしてふりかえって、自分たちで運用を改善していって、よしよしいい感じじゃないか、とか思ってました。

ところが不思議なことに、なぜか組織のルールとの間に強烈な線引きがありました。
そりゃあ自分たちが決めたものでもないし、背景なんかもよく知らないので隔たりは分かりますが、それなら自分たちのやりやすいように変えればいいのに、と思いました。

どうもそうはならなくて、何やら自分たちの力は及ばない領域みたいな感じで、「制約事項」としているような感覚。

これは今更組織構造の話だけではないな、と思いました。

同じ人間が考えたことのはずなのに、それは絶対のものとして議題にすら上がらなかったり、議題に上げたとしてもなにか強大な的に立ち向かうように特別に扱ったり、なぜなのか…。
結局この一連の出来事は、いくつものプチコンフリクトを巻き起こして過ぎ去りました。

未解決

チームとして、いろいろ考える良い機会にはなりましたが、あまり解決らしい解決はできてません。
自分たちのあずかり知らないところから出てきた決まり事やルールに対して、フラットに受け取ってはいないです。

そのルールって、別に誰も「それがいい!」って言ってるわけじゃないんですよ。
決めた当初は何か背景があったとしても今は関係ないとか、もっと言えば「誰も決めないからとりあえずこれで」っていうパターンはたくさんあるはず。

「他所からやってきたルールは手ごわい」みたいな感覚です多分。必要以上に構えてしまって、逆に囚われているかもしれない。

今回のことは、部分最適が過ぎたんだ、と思いました。でも体感して改めてわかるのは、草の根で初めている以上、一時的な部分最適は絶対発生する!
トップ、ボトムのハイブリッドなアプローチをもっと器用にできれば…。

書き終わって読み返したら、すごく当たり前なことを言語化したような気持ちになりました。でもそういうの大事。

まとまらない。笑
ふんわり。

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