スクラムマスターすらもチームと一緒に築かれていくというのはありか

スクラムマスターってスクラムのマスターなわけじゃないですか。
スクラムマスターっていうくらいだから。

研修で教わるのも基本的には「完成されたスクラムマスター」の振る舞いで、しかも研修受けた直後なんて「今なら何でもできそう!」って感じで、どうやったってスクラムのマスターとして振舞おうとしますよね。私はします。

スクラムをスクラムたらしめるために、スクラムになっていないチームをスクラムチームにしたり、チームの成長のためにサポートしたり、組織すら変えてしまったり、スクラム開発をやるにあたってとても頼りになるスクラムマスター。

私の中では、スクラムの始まりには既にスクラムマスターが存在しているんです。
というかスクラムの中ではそれが普通というか前提だし、普通に開発でスクラムやろうってなったら絶対そのロールは用意されるはずですよね。

スクラムマスターを任された人は、きっとレベルも様々なので、社内外の人のサポートや自分自身の学びも蓄えながら試行錯誤はするだろうけど、でもやっぱりスクラムチームの中ではスクラムマスターなんですよ。

回想

私は2年半前にスクラムマスター研修を受けて、直後こそスクラム実践の機会はなかったんですけど、しばらくしてスクラムやろうってときはそれはもうスクラム至上主義になってました。

スクラムを成立させるためにスクラムガイドに則って、組織のルールに反発する勢いで(いやそれちゃんと書いてあるやん!)とにかくスクラムのルール通りに、っていう感じで。

それはそれで重要ではあるとは今でも思っていて、独自ルールで形だけそれっぽくして満足するよりかは、型通りにやってみて本質を感じ取れたほうがいいとは思います。
けど当時はそんなことまで考えてないし、単純にスクラムを何としてもやりたいだけの人になってました。

それさえ守っていれば自然とうまく行くという漠然とした期待があって、何かうまく行かないとしても「これはスクラムのルールが守られていないから」と思ってしまったり。

さすがにそんなレベルなのは最初だけだったけど、それなりになった後も「スクラム的には」とか「スクラムマスターだったら」とかずっと考えていました。

頭には研修で学んだ「完成されたスクラムマスター」像があるし、コミュニティなんかで熟練のスクラムマスターに会って更に意識してしまうし、常に何者かになろうとしている感じ。

最近

ちょうどコロナで自粛期間に入るあたりから、業務の切り替わりがあってスクラムを離れてました。

それで最近、また新たにスクラムやろうってことで新たに人が集まったんですけど、個人的にちょっとスクラム疲れしてしまっていて、なんかもっと楽にできたらなと思ってたところで、ずっと同じチームでスクラムやってたメンバーから「そろそろ失敗したくない」みたいなことを言われました。

意図はそのままではなくて、「成果を出すことに集中しない?」ということだなと気付きました。
なんとかスクラム成立させようっていうのをずっと見てきているからだと思います。
だからもうスクラムをがんばってやろうとせずに、スクラムをベースにはするけれど基本的にはルールで縛らない、必要だと思ったことを、必要なタイミングでやればいい、となりました。

レトロスペクティブは最初はやらずに行こうと思っていたけど、1週間経つ頃に気になることがぽろぽろ出てきたから「30分だけフィードバックし合わない?」と言ってやってみたり、プランニングはやるんだけどスプリントバックログは作らないで、ソースにコメント書き込みながら設計大会にしてみたり。

そうするとスクラムマスターやらなきゃ!っていうのも薄れてきて、ただ指針は「チームの成長と成果のためにできることをやろう」と置いて、迷うときはそれを判断の基準にしてます。

スクラムマスターって一応なってるけど、割とリードするし、教えちゃうし、口出しちゃうし、実質今のチームにはスクラムマスター不在で、本当にただの一つのチームとして築かれつつあるっていう状態です。

でも確かにスクラムマスターっぽい人がいて、チームが築かれていくのと同じくらいのスピードで、チームに合う形のスクラムマスターも築かれていくと思います。

所感

スクラムマスター研修から実践の流れでいけば、最初はほぼ確実にスクラムマスターが存在する状態からスタートすると思います。
でも、スクラムマスター研修を受けた”ちょっとスクラム詳しいスクラムマスターっぽい人”がチームに一人いて、チームであれこれやってるうちに「もうそろそろスクラムマスターなんじゃない?」って言ってスクラムマスター爆誕するパスもありなんじゃない?って思います。

とは言うものの、

結局今の状態に納得感があるのは、考えてみれば2年半過ごしたからこその自分独自の落としどころであって、最初からそんな割り切りできたかと言われたら無理でしょう。
多分、ほかの人に言ってもハマる人、ハマらない人いるだろうし。

型通り→うまくいかない→なんで?→という流れを経て、スクラムを導入する意味とか、本当に実現したいこととか、そういうことを考えあぐねた結果、今のコンディションであればこの辺りが落ち着く、ということなのかなと思いました。

共通して言えることはきっと、「いかにして囚われないか」ということ。
最初は狭い範囲だけど、囚われないゾーンが広がっていくことで、また考え方とか変わっていくんだろうなと思います。

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